2010年3月17日水曜日

2010.3.23 Comet Morigi 「芸術とは何だろうか」ディスカッション



芸術とは何だろうか 2」
Comet Morigi さんに、芸術とはなんだろうかという問いについて、芸における自由とはという話題を中心にしたディスカッションを進行していただきました。
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 それを芸術と呼べば、芸術になるでしょうか。「芸術だ」と呼ばれ続けるものと、一度は呼ばれたものの忘れ去られるものがあります。芸術のレッテルを貼ることで、ますます芸術に見えてくる例が有る一方、やはり芸術には見えない・どころか芸術とは思えなくなる例もあるでしょう。評価の定まらない(真贋不詳や新人の)作を檜舞台に立たせて、さらなる評価をつながることが有る一方で、評価を落としてしまう物があります。
 便器を美術館に展示して芸術となった例が有名であっても、何でも美術館に収蔵展示されるということは、今のところ起きていません。何もかもが芸術と見なされるかのように見えたとしても、時を経て取捨選択が働きます。赤瀬川のトマソンは、任意のフレーム内が芸術化するのではなく、特定の写真が世に認知されるまでには、厳しい取捨選択が行われます。
 「誰でも芸術家になれる」でしょうか。誰でも生涯ひとつは小説が書けるし、誰でも「15分間」なら芸術家になれるでしょう(ウォーホル)。これは、15分しか有名になれない、ということでもあります。悲観的な人なら、こう返します「誰でも芸術家になれるということは、誰も芸術家になれないということだ」。
 もし、何かを芸術と感じたなら、こんな自問は、いかがでしょう「私は、いつまで、これを芸術と信じ続けるだろうか」。

 美術館・額縁・台座・金箔・油絵具・青銅など、その高尚さを促そうとするフレーミング
は、「これが芸術だ」と唱えるのと同様に働きます。「これは芸術だ」と唱えるとき、その人は、芸術の殿堂(=記憶)に、その物を収蔵させています(いつまで残るかは不明だとしても)。「芸術」にまつわる記憶へ、ある事物を差し入れることで、芸術の意味を少しだけ変えています。いま私たちが芸術と考えているような芸術の意味は、人々が累々と芸術の記憶を紡いできた結果であります。芸術という語を口にし、何かを芸術として指し示すとき、その一人々々が芸術の歴史をわずかながら作っています。

以上が、美術史・美術館・芸術の関係を語るための基礎だと思います。

沈める美術館:何かが作品に見えるための枠組みについて、私自身が体験・制作した例です。
数十名の作品が展示されている館を、7割ほど水没させました。水位を100m近く上げてあります。
Le Musée Engloutie; The Sunken Museum 沈める美術館 Uqbar090221_037-42C   Le Musée Engloutie; The Sunken Museum 沈める美術館 Uqbar090225_008-16 

水没した美術館自体を眺めるよう、なぎさ・崖を作りました。崖の上には、霧の林があります。
美術館が水没してしまった様を、波の打ち寄せる浜から眺めたり、崖の上から見渡したりできます。
Le Musée Engloutie; The Sunken Museum 沈める美術館 Uqbar090106_043c   Le Musée Engloutie; The Sunken Museum 沈める美術館 Uqbar090102_008-0012
館の水上部からは、この崖と浜辺、新たに出現した風景を眺めることができます。

※主催者による記録写真は、こちら→ Roxelo Babenco / arco Rosca

 館内で作品を展示する(あるいは館外に出て展示する)枠組みに対する、私なりの試みでした。この意図は、当館を知る人々には、明らかでした。突如上昇した水位と雲を貫く山から、何が私の制作事物であるのか、直ちに理解されました。
 ところが、限界がありました。初めて館を訪れた人・館元来の状況を知らぬ人にとっては、水位と地形の変化が認識されません。「沈める美術館」という名の作品を、館内に探して、見つからぬままになりました。この作品は、水位の上昇前・上昇後・復帰後を比較、時間の括りによって成り立ちます。作品が見えるためには、何かの枠組み・文脈を要しますが、ここでは、時間を通した変化・展覧会の会期が、その枠の役を負っていました。だから、変化を追う機会に無い人、館の過去を知らぬ人には、見えなかったんです。
 上の写真は、その当時の悩みから、私が見せたかったことを翻訳して見せたくて(あるいは、記録に留めたくて)、撮ったものです。振り返ってみれば、改善の方法は、在りました。この写真を当時より館内に展示したり、水没前の状況も併せて写真展示したり、視点をシム外へスクリプトで誘導したりすれば、館内に留まろうとする視線を、自覚してもらえたと思います。
 言い換えれば、私が見せたかったのは、館内に作品を期待する観客自体だったと思います。

 美術とアートの違いについて、頂いた指摘から、発見がありました。
 「単語『美術』の用例は、『美術館』ぐらいしか無い」(Naoyuki Mertelさん)。そこで、Google両ヒット数を比較したところ、美術=2480万/美術館=2680万 「美術館」が優勢でした。「美術」を含むはずの「美術館」という語が、「美術」よりもヒットしてしまう。それほどに、美術は美術館に支えられている、美術館在っての美術とも受け取れます。(アート=5640万)
検索頻度で比較しても、「美術館」は、美術・アート・芸術のいずれに比しても、優位にあります。  (英語による比較はこちら。)

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